サミットの舞台で
東シナ梅が眼前に広がる沖縄県嘉手納町の水霊海岸。近くの居酒屋に笑い声がはじけた。
「先生がアメリカに行ったのは、(本土)復帰前だよね」
「そう。車が右を走っていたさあ」
六月五日、町立嘉手納外語塾の「先生」でもある上間政行事務局長(55)と卒業生、在
校生が、ささやかな「壮行会」を開いた。五日後に米ミシガン州に留学する今春の卒業生、亀島利之さん(21)を囲んだつどい。泡盛やビールが次々に飲み干されでいった。「沖縄め観光ビジネスを変
えたい」。亀島さんはそう思っている。具体的なアイデアはまだないが、アメリカでそれをつかみたいと考えた。外語塾で二年間、町面積の83%を占める米軍基地からやってくる講師らから学んだ英会話に、自信はある。
「僕もアメリカに」行きますよ。NBA(全米プロバスケットボール協会)とかでトレーナをやりたいんです。 二年生の知念伸一郎さん(20)も目を輝かせる。
アメリカにあこがれる彼らは、米軍基地のことをどう思っているのか。
「生まれたと音」から目の前にあるから、深く考えたことはないですよ。反対だとか騒いでいる人を、案際に見たこともない。基地のおかげで英語も勉強でぎたしね」。その場の約二十人のほぼ金員が亀島さんと同じ考えだった。
「国の税金で教育を受けたんだから、嘉手納や沖縄だけでなく、日本全体、世界のためになる入材になれ」
壮行会で上間さんは顔を赤らめながら、何度も言った。
「外語塾は国の交付税で経営されているのだから当然の考え」という。
昭和20年2月に南大東島の防空ごうで生まれ、本島北部の貧しい村で育った上間さんはペトナム戦争当時、沖縄の米軍基地で働き、カナダ、米国に渡って銀行などで仕事をした経歴をもつ。すべては「食べるため」だった。
そんな上間さんには、基地論議で本土と沖縄、日本と世界を分けるようは考えが「甘っちょろく映る」という。
「いつなくなるか分かちない基地を、すべてマイナス思考でとらえていても前進はしない。身近な国際社会と視点を変えてもいいのではないか」
外語塾で上間さんは、基地とのパイプ役として、外国人講師を選考している。講師には町から報酬を払う。上間さんの若いころにはなかった「対等な関係」」だ。 「学生のために、これだけおぜん立てをしている。われわれにできなかった夢を実現するのが義務でしょう。
「1日も早く本物の英語を身につけたい」。今年4月に外語塾に入学した新城美香子さん(19)の夢は、基地内の施設で働くことだ。嘉手納町内で空手道場を開く父親の弟子には米軍関係者も多い。外国人に違和感はない。「基飽がいいとか悪いどか
考えたことはない。就職先として、本土でいう一流企業みたいなものです」
上間さんの畏男の政知さん(28)も基地に就職できる日を待っている。
大阪の大学を卒業後、4年前から毎年、県の渉外労構管理事務所を通じて応募しているが、画接までこぎつけたのが2回だけ。就職先としてのフェンスの中は、ハードルの高い存在だ。沖縄県渉外労務課によると、米軍基地で働く人は国の雇用者という位置付けで公務員に準じた待遇が与えられる。今年5月末現在、県内」の米軍基地で働く日本人は約八千四百人。採用枠は毎年八百人前後しかないが、一万二千人近くが応募しており、ほぼ半数が二十歳代という。
沖縄の朱業率は、平成十一年で八・三%と全国平均(四・七%)を大きく上回る。1人当たりの県民所得も、全国の七割程度℃基地にあこがれる若者の心理にはこうした厳しい現実もつきまとう」。
「基鞄で働くにし」ても、海外に羽ばたくにしても、武器は英語の力。復帰前後に辛酸をなめた上間さんは、若者たちに経験を語りかける。